JACK’S WILL
GO DEVOTION WAY

音を紡ぎ、人を紡ぎ、世界を紡ぐ。

旅と路上

新潟駅前でギターを始めたばかりの大地君という青年に出会い、3コードとストロークを教えてあげて、即興セッション。三味線始めたその日に情熱だけで路上に繰り出したあの時を思い出しました。

聞いたら彼も埼玉大阪間を原付で旅した事があるらしい。

大地、良いパッションしてたぜ! また会おう!

 

 

太陽の沈まぬ国

色は違えど、言葉は違えど、体格は違えど、思えば、地球上に暮らす僕らは皆、同じ月を見て、同じ火を灯し、同じ水を飲み、同じ木からなる果実をかじり、同じ金という名の通貨で生活をし、同じ土を踏み、同じ太陽の光を浴びて暮らす月火水木金土日の子供達。

 

 


 

当然ながら、スペインの人たちもその例外ではありませんでした。
ただ、ちょっぴり向こうで暮らす人々の笑顔が、こちらで暮らす人々よりも眩しく、羨ましかっただけで。  

 

 

 

 

 

 
太陽が朝7時くらいに昇り、第一の朝食をそれはそれは美味しいトマトのペーストが塗られたトーストやカプチーノで済ませ、
desayunoデサジュノと呼ばれる第二の朝食(11時くらい)から、ビールを飲んで、
14時過ぎてからハムやチーズやオリーブなどを使った料理で昼ごはん、そのあとシエスタ(昼寝)があって(滞在中にそういう人には出逢わなかったので最近は減ってるのかも?)
そのあと残りの仕事をして、太陽が沈んであたりが暗くなっていく20:00-21:00くらいから自宅やバルやレストランで夕ご飯&BEER!(僕らはパエリヤや巨大ピンチョスなどを楽しみました)。
締めはエスプレッソ、ではなくてなんとコーヒーをすすった後のオルホ(葡萄の粕から作られた蒸留酒)のショットでサルー!

 


 

 

 

 

 

 

 

 
 
ちなみに向こうで午後一とは16:30を意味するらしく、最終日にバルセロナ市街で買い物をしている時に16時頃から楽器屋さんが次々とオープンし始めたのをみかけました。
15:00頃行った時に閉まっていて残念がっていたKAZUさんも、16時半に空いた時に衝撃と嬉しさを隠せなかった様子です。(笑)
 

 

 
向こうで暮らす人々の笑顔が眩しかったのは、決してサマータイムで日照時間が長いという、それだけの理由ではない気がしてます。
 
僕の知り合いから聞いた話では、日本のとある地域では、夜中ウォーキングをするのに「あの人、毎日歩いちゃっておかしい」と周りの目を気にして健康のためのウォーキングができない、
とか、カゴのついた自転車で買い物をすると近所の人の噂になるから恥ずかしい、という理由で買い物行くのにも車を使い、自転車に30年も乗っていない、という様なお話を聞きました。
これは極端な例かもしれませんが、僕らの周りにも似たようなケースがかなりあるんじゃないかと思います。 
普段の暮らしの中でも、シンプルに「おはよう」「こんにちは」などの挨拶ができない人がいたり、日本が少しづつ歪んでいっているように感じます。 
いつから日本はそんな窮屈な国になってしまったのでしょう。
他人を気づかい、空気を重んじる日本人。という意味では素晴らしい国民性だと思うのですが、それがマイナス方面に傾いてしまっているような気がして止みません。
 

 
スペイン滞在中、とあるレストランでの出来事。外のテラス席で僕らが食事をしている際、配膳中のグラスを女性の店員さんが落とし、パリーンッと音を立てて割れたのですが、
すかさずその空間にに拍手が鳴り響きました。お客さんだけではなくその店の支配人さえも(笑)
落とした店員さんも笑顔で拍手に答え、今にも踊りそうな表情を浮かべました。
リーダーが「なんて素晴らしい国だ!」と感激していたのが印象的です。

  

もう一つ例をあげてみると、とある朝、KAZUさんとホテル近くのカフェに行った時の出来事、店員さんが偶然僕らのことをFACEBOOKで見て知っており、写真を撮って欲しいと頼まれたので「ムイビエン!」と答えたら、
彼女は両手をあげて喜んでくれ、レジに立つもう一人の同僚も呼んで、2人で僕らのところにかけ寄ってきてくれたのです。
その時、丁度店内は混んできていたので、レジには注文をしたい人々でなかなかの長蛇の列ができていたのですが。(苦笑)
そんなことも意にせず、めちゃくちゃ喜んでくれる店員さん。しかし並ぶ人々もイライラした様子は一切なく、むしろ写真を撮ってるこちらを見てニコニコ楽しそうにしていました。
 

 
この時も日本との違いに考えさせられ、KAZUさんと帰り道にそれについて語り合いました。
 
でもそんな事を日本で真似したら、口撃の標的になり、SNS等で炎上する事は間違いありません。しかし、せっかく今回のMANGAイベント(2日間延べ2万人の来場者数)始め、
せっかく日本のカルチャーがリスペクトされ、今最も若者から注目を浴びてる国と言っても過言ではないこの日本で、我々はもっと自国の素晴らしさに気づき、自信を持って楽しく生きても良いのではないでしょうか。
「自分が変われば世界は変わる」という言葉もあります。まずは自分自身が開眼して、少しづつできる事からやっていきたいと思います。
 
もっと自由を!! もっと音楽を!!! もっと笑顔を!!!  

 
 
 
距離ってのは測定器やメジャーを使って測る物質的なものと、精神的なもの2つを指すと思う。
 
これまで十数カ国を旅して確信した事は”縁”の世界に物理的な距離は実は存在しないんじゃないかって事。
 
近くにいても縁のない人とは一生会わないかもしれないし、どんなに遠く離れた場所でも、運命だと感じる出逢いはたくさんある。
 
きっと僕らはこのまま魂の旅を続けていれば、どこか辿り着くべき場所に辿り着けるのかもしれない。
だからこそ神様は、僕らがあっと驚くような出逢いをプランニングしてくれるんだと思う。その全てに意味があって。きっと、きっと…..
 
スペインで出逢った人たちがラブリーすぎて、目にした景色が素敵すぎて、正直旅の別れはちょっぴり切なかった。
でも、日本に帰ってきても、彼らと同じ月を、同じ星を眺める事ができるのが、嬉しい。
 
そして、向こうで変わらず生活を続けていく彼らの毎日が笑顔であり、幸せであって欲しい、彼らの人生が大きな事故や病気もなく、ずっと素晴らしいものであって欲しいと心から願いたい。
 
Adios!!
  

 

 

 
日本を旅たつ時にKAZUさんから教えて貰ったこの曲が丁度今の気分にぴったりなので、皆さんに送ります。 
この曲、ビートたけしさんが作詞してるんです。

JACK
  
ステージの模様やオーディエンスのリアクションはこちらからご確認ください。
KAO=S FACEBOOK PAGE

空港での出来事


  

これは知らなかった自分を恥じるべきなのだが、羽田空港国内線出発ロビーは例え翌朝の飛行機を待つ人間であれ、前乗りで朝までの滞在が許されていないとの事。   

終電で乗り込んだ浜松町からのモノレール、羽田空港第二ビルの改札を降りると、警備員が不審者ばりにやたら自分の事を見てくるので、しまいには同僚に無線で連絡までしている様子なので、不思議に思っていたのだが、そう言う事か。 
終電で国内線ターミナルに来る人は空港直結のエクセルホテルに泊まる人か、何も知らずに迷い込んだストレンジャーのみなのであろう。  

 

無論僕は後者だ。 そして警備員からみたら確かに、不審者だ。(笑)

くぅっ一つ前の国際線で降りておけば良かった。皆からポジティブシンキングと呼ばれる自分でも今回ばかりは悔やまれる。  

 
KAO=Sの渋谷ライブの後、翌朝一番の便で羽田から宇部に出発と思い出し、それならこのまま空港の出発ロビーに泊まるのも、と思い立ったのだ。 

   

思い立ったが吉日という言葉があるが、今回はそうはいかなかったみたいだ。   

警備員の方に、私みたいに知らずに空港に来てしまったケースはどうすれば良いのか、と尋ねた所。 

「三千円かけてタクシーで国際線まで行き、そこで朝を待つ人は時々いますよ。」との事。 

さっき降りれた筈の通り過ぎた駅にわざわざその金額を払ってタクシーで戻るのははばかれる。
ここは旅人根性!と何とか打開策を探す、、が成す術なし。
  

24hoursとかいた、自動販売機が並び椅子と机が整然と並んだとても無機質な感じの待合室をタクシー乗り場に向かう空港の出口の前に見つけたので、
何とかここで朝まで過ごせないか、とドリンクを買いおもむろに座ってみるが、五分も経たないうちに先ほどの警備員がやってきた。 

「すみませんね、シャッターもう閉めちゃいます。外に出てください。」
 

O.M.G

 

仕方なく言われた通り、タクシー乗り場の方に向かい、それでも乗ってたまるか、と途方に暮れていると、先ほどとは別の初老の警備員が近づいてきて声をかけられた。
早く行けと急かされるのかと思いきや、
 

「どうするんですか」 と優しく、しかし静かに決断を迫るように語りかけてきた。 

その声が僕にはみのもんたのファイナルアンサー?に聞こえた。

  

国際線には行きたくないんです、と事情を話すと、初老の警備員は向かいの立体駐車場をおもむろに指差した。
 

(野良猫のように車に隠れて寝ろってか)と一瞬惨めな気分になったが、次の一声に驚いた。
 

「あそこのP4と書いた立体駐車場の待合室なんかどうでしょう、24時間空いてますし、結構快適みたいですよ」と超親切に神情報を教えて下さった。  

胸が震え、感動した。
災い転じて、とはこの事か。

 
 

あまりの嬉しさに親切な警備員さんと一緒に写メを撮りたかったのだが、もしかしたら困った僕を見兼ねてアンオフィシャルな情報を提供してくれたかもしれないので、彼の顔を写真に残すのは失礼だと考えた。

  

 

「ありがとうございます!」と深々とお辞儀をして感謝を伝えた。


  
 

そのP4にあった待合室は、空調も効いてて、軽食を販売している自動販売機や、なんとマッサージ機まであって、とても快適に朝までの時間を過ごすことができた。

 

困った時に人の優しさに触れると、心に一層沁みる。
日本の素晴らしさをこんな所でも垣間見た気がした。 

そして、また神様に借りを作ってしまった。

 

三味線屋紅やさんの店主はこういう。
「誰かにしてもらった親切は、貴方がまた出会った人にしてあげれば良い。そうやって地球に縁はまわってるんです。」

 

神様、人様への恩返し=音返しは一生続くのかもしれない。
 

いやはや一生でも足りないのかもしれない。 

でもそれが俺の人生だと悟る。

 
 

旅の出発点でもあり、着陸地点でもある空港って何かいいな。 人の数だけドラマがある。 
次にここに来るのはスペインに飛び立つ4月4日だ。

寂空

”本当”のアンコールを観た

全てのセットリストを終え、楽屋に戻るアーティスト。アンコールを期待するお客さんももちろん多くいる中、DJが大音量でトラックを流し始め、スタッフがエフェクターに繋がれたシールドを抜き始めた。 

お客もそれに気付き、暗雲が立ち込めたが、それでもアンコールのクラップは鳴り止まなかった。僕も心からアンコールを待ち望んでいたので、もちろんその手を止めなかった。
 

ついにD.Iに繋がれたキャノンまで抜かれてしまい、普通ならこのままライブは終わりDJタイムに移る流れだが、なぜか根拠の無い確信があった。 

クラップをやめない全ての人間が彼らの音楽を愛していた。 

 

鳴り沈むどころか、クレッシェンドしていくクラップの中、楽屋の扉がゆっくり開いた。彼が出てきた。 

「もう一曲やっていいみたいなんで、やらせて貰います」 

独特の低音のきいた声でそのボーカリストはCOOLに挨拶をした。 

本当に用意していなかったみたいで、五分間ほどギタリストとステージ上で打ち合わせを済ました後、初期のナンバーから「One Star Shining」を届けてくれた。 

 

胸が熱くなった。

 
俺はホンモノの音楽だけをこれからも愛していきたい。
 

1mも無い彼らの呼吸さえ聴こえてきそうな距離で、彼らの一挙手一投足を観れた事、音の一粒一粒を受け取れた事、素晴らしい経験になった。
 

高校の時から聴き始めて、もう14、5年彼らの音楽と人生を過ごしてる事になる。
 

木村世治、そして、ZEPPET STOREのROCKををこれからも愛します。
 

感謝!

JACK’S WILLを見てくださっている皆様、いつも応援ありがとうございます。 

昨日12月13日、おかげさまで32歳になりました。11日には同じ誕生日のROCK STAR、hideさんのBirthday Partyに偶然ご招待頂くという神様からのプレゼントもありました。 

生きてることに感謝して、家族や仲間、支えてくださるファンの皆様に有り難く感謝して、 そして直感とワクワクを大切にして、輝きすぎてマブい2017年に向けてROCKET DIVEして羽ばたきたいと思います! 
 
引き続き応援よろしくお願い致します!
 

年末年始は4回目の渡印にして、正式にインドで演奏ツアーできることになりました。
こちらも皆様のお陰です。深く感謝致します。
 
インドに行く前にもイベント目白押しですので、気が向いたら各ライブにも遊びにいらしてください。会場でお逢いできるのを楽しみにしております。
  LIVE SCHEDULE

寂空
 
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Muchos Grasias.

往路約40時間、復路32時間の日本の真裏にある国、パラグアイへの旅、無事に帰国することができました。 

そこはお世辞抜きで素晴らしい国でした。  
至る所に幹を伸ばすヤシの木が、まるで南国のリゾート地のようであり、民家の赤瓦が沖縄のそれを彷彿とさせ、暖かい気候と眩しい太陽が気分を高揚させてくれました。 

そして、何より人が明るく、温かい。
明るいと言っても典型的なラテン系の明るさでなく(※それを悪いと言っている訳ではございません)こちらに呼吸を合わせてくれるような、心地よいテンポ感を持った明るさです。 

みんな満開の笑顔と、両手いっぱいのハグで僕らを出迎えてくれました。 
 

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現地に到着して初めて知ったのですが、ここパラグアイはマテ茶の原産国で、現地ではグアンパという独自の容器とコップとボンビージャと呼ばれる先端にフィルターのついた金属のストローを使って水出しで飲むのが主流だそうです。 
みんな外出時に持ち歩いていて、愛らしい。私たちも移動のバスの最中などにもてなしを受けました。

これがとっても美味しい!ビタミンも豊富で飲むサラダとも呼ばれているそうです。
金属でできたボンビージャがヒンヤリとしていてとっても口に心地よい。
茶葉とボンビージャをスーパーで購入してきたので健康に良さそうなので日本でも日常的に飲んでみたいと思います。
 

 

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現在5000人以上の日系人がパラグアイで生活をしている事を皆さんはご存知でしたでしょうか?
僕は恥ずかしながら今回のお話が決まるまで知りませんでした。
昨年訪れたサンパウロでも同じ事を感じましたが、日本から約18000km離れた地球の反対側でも、
日本人が現地の社会、文化に溶け込みながら生活を営んでいる。
これは実際現地に行ってみると、言葉にする以上の感慨深さがあります。
80年前、海の遥か彼方に新天地を求めて約二ヶ月の船旅に出航した人たちは、どんな思いで水平線を眺めていたのでしょうか。
 
 

第一世の方々がジャングルの原生林を一本一本切り倒して開拓していった移住地には今も二世、三世の方々が幸せに暮らして居るそうです。
今回の旅でも二世、三世の方々のお話を直接聞くチャンスに恵まれましたが、第一世が築き上げてきた現地民との信頼関係のお陰で、日本人は確固たるステータスがあり、みんなから尊敬されているのだそうです。 

今回の日本祭りも第一世への感謝の意、慰霊の意味が込められていると聞き、自分が日本人である事を誇らしく思ったと同時に、翌日に控えたステージに向けて、一番大切な事を聞いたと思いました。
 

 

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日本祭りは主催者の皆さまも驚く動員を記録し、1万5千人以上の人々が集まりました。
僕は今回の為に覚えたパラグアイ国歌をKAO=Sステージのオープニングで独奏させて頂きました。
なんせ三味線一本なので、演奏してみるまで現地の人々にパラグアイ国歌だとわかってもらえるか不安がありましたが、メロディーがわかった途端に地鳴りのような手拍子と合唱が始まったその時は、言葉にならない感動がありました。 

我々のライブは大歓声で迎えて頂き、アンコールの「流星群」までオーディエンスの熱狂が冷める事がありませんでした。
フィナーレの花火は、息をのむほど感動的でした。

こちらに詳しいライブレポートが記載されてあります。 

今回、KAO=Sのお手伝いをしてくれた日系人の青年たちがいるのですが、彼らは第3世にあたります。
皆さんとっても優秀で、僕らの現地に着いてから空港を離れるまでの全てを献身的にサポートしてくださり、今回の成功は西島様を始めとする主催の皆様、そして彼ら無しには語れません。

その中でも特に印象に残っている一人の青年がいます。ナオト君と言います。
彼のお爺ちゃんは広島で原爆の被災にあい、絶望の中、パラグアイを新天地に選んで船に乗り込んだそうです。 
そこで同じく広島から船に乗り込んだ1人の女性に出逢い、2人は船の上で恋に落ち、その青年は船の上でプロポーズをしたそうです。
それが彼のお爺ちゃんお婆ちゃんて訳です。なんというドラマなんでしょう。
この話を聞けた事だけでもパラグアイに来れて良かった、と本気でそう思いました。
実はこの話にはまだ続きがあり、彼のお爺ちゃんは移住地でその頃まだ誰もやっていなかった畜産で大成功を収め、今ではパラグアイ最大の養鶏場を営んでいるそうです。
そのお爺ちゃんの卵がこちら。どのスーパーにいっても置いてありました。

 

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ナオト君とおじいちゃんの卵(ホテル近くのスーパーにて) 誇らしげですね^^

 
 

地球に生を受けた人口の数だけ、それぞれにストーリーがあってドラマがあるのですね。

次にパラグアイを訪れた時には日系人の方々がク暮らす東西南北に分布する移住地にも是非、メンバーで足を運んでみたいと思います。 

三味線を始めた当初は、まさか自分が国と国の交流に関われるなんて夢にも思っていませんでした。
音楽は神秘ですね。これからも音楽で自分にできる事を一生懸命追い求めて、天命を果たしたいと思います。
 
 
Muchos Gracias!

寂空
 

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